ドラゴンを近くで見よう
「皆さん、ちゃんとついて来ていますか!」
さびれた村の広場に、元気な声が響いた。声を上げているのは二十歳そこそこの女性である。彼女の手にはクエスト・トラベルと大きく書かれた黄色い手旗が握られ、彼女の後には九人の人間がついてきている。
「えー、それでは点呼を取ります。アスタルさん、ダルトさん……。」
彼女が次々と名前を呼び上げると、呼ばれた人が返事をしていく。村人は何事かと、遠目でこの異様な団体を見始めていた。彼女は点呼を続けながら、村人からの物珍しげな視線に絶え続けるのだった。(なんで、私がこんなことしなくちゃならないの!)
「ドラゴンを近くで見よう・ツアー?」
メルク・グラードは怪訝な顔で言った。
「そうだ、いい企画だろう?」
彼女の父は自慢げに言った。ここは、都の中程にある旅行会社、看板にはクエスト・トラベルと書いてある。会社と言っても、この会社の中には二人のほかに、秘書謙、事務員のおばさんしかいない。まあ、あまり儲かっていないのは一目瞭然である。
「みろ、この参加希望書の山を。こんなことは我が社始まって以来のことだぞ。」
「最近は、恐いものを知らない、非常識な人が増えたもんだ。」
メルクは感心した声を上げる。
「それは違うぞ。今の平和ぼけした国民は、刺激を求めていると言いなさい。それをいち早く察知し、こんな今までにない計画を立ててしまえる自分の頭が恐い……。」
「まあ、ある程度の常識がある人なら、そんなことすら考えないかもね……。」
「なんか言ったか?」
「なんにも……。でも、ドラゴンを見るなんてこと、本当にできるの?」
「ああ、もちろんだ。見ろ!」
メルクの父はおもむろにパンフレットを取り出す。表紙にはドラゴンを近くで見よう・ツアーと書いてある。
「アレメロ火山……。もしかして、目当てのドラゴンって、あのアレメロの……。」
「そうだ、アレメロのレッドドラゴンだ。」
「伝説のドラゴンじゃない!死にに行くようなものだわ。」
「ところが、そうでもないのだ。実はこの村の人間が、ちょくちょくこのドラゴンの巣穴に入っているらしいのだ。」
「ドラゴンの巣穴に?そりゃあ、ずいぶん勇気のある村人ね。なんで?」
「燃料に使う溶岩を取るためらしい。ドラゴンの近くでは、良質の物がとれるそうだ。」
「よく、ドラゴンに襲われないね。」
「そうだ、ここがポイントなのだ。どうやらこのドラゴン休眠期に入っているらしい。」
「休眠期?寝てるってことか……。」
「寝ているわけではない。一応起きてはいるのだ。又、活発に動き回るための体力を回復しているだけだ。なにせ、あの巨大な体だからな。とにかく、余計なことさえしなければ、絶対大丈夫だ。」
「余計なこと?」
「ドラゴンに触ったり、巣穴にある宝石を盗んだりということだ。」
「なるほど、それは危険だ。」
「あと、光る物を持ち込むのも駄目だ。休眠期とはいえ、習性で襲ってくるかもしれん。ちゃんと覚えておけよ。」
「はいはい……って、なんで私がそんなことを覚えなきゃいけないの。」
メルクは父を睨んだ。
「添乗員が注意を覚えてないのに、どうやって参加者に注意をするんだ。」
「添乗員?誰が?」
「お前がだ。そうじゃなきゃ何で私がお前にこんな説明しなきゃならんのだ。」
「でも……いつも雇ってる添乗員さんは?」
「死にたくないと言い残して行方不明だ。」
「……その人の気持ちよく分かる。」
「まさかお前まで、実の父親の言うことを信用できないって言うんじゃないだろうな?」
「信用しないって訳じゃないけど……。私、添乗員なんてしたことないわよ。」
「そんなものなんとかなる。参加者達にドラゴンを見せ、無事に帰って来れれば、それだけで宣伝になる。サービスは二の次だ。」
「私、この会社が儲かってない理由、分かったような気がする。」
「これから儲かるんだ。愛しの娘よ。私にサクセス・ストーリーを歩ませておくれ。」
「愛しの娘が、命を落とすかもしれないことを、考えたことがある?」
「ないぞ。私の計画は完璧だからな。」
「………………。」
メルクは諦め顔で、パンフレットを開くと、目を通し始めた。そして、数分後……。
「ねえ、この馬車で二週間ってなに?」
メルクは引きつった笑みを見せる。
「馬車に乗って二週間かかるという意味だ。そんなことも解らんのか?」
「つまり、往復して一カ月近くかかるってことよね。ドラゴンを見て帰るだけで。」
「まあ、秘境に棲むドラゴンだからな、それも仕方あるまい。」
「お父さん。私の勤め先、知ってた?」
「ああ知っとる。貧乏学校の先生だろう。」
「先生が一カ月も休める訳ないでしょう!」
突然、メルクが怒鳴った。「残念だけど、私は無理よ。このツアーに参加できない。」
「安心しろ。学校には許可を取っておる。」
「えっ、本当?どうやって一カ月も……。」
メルクが驚いた顔をする。
「お前が妊娠三カ月と言ったら十カ月も休みをくれたぞ。おかげでゆっくり旅行計画が……。おい、どうした突然。」
メルクはあまりのことに、その場で気絶してしまったのである。
「全く、あのスカタン親父のおかげで、未婚の母になるところだった。あのあと、私がどれだけ苦労して言い訳したか……。」
メルクがブツブツ言っていると、参加者の一人が声を掛けてきた。
「あのー、添乗員さん。」
「は、はい!何ですか?ジェームスさん。」
二週間も顔を突き合わせていると、いやでも顔を覚えてしまう。ジェームス・コレット、職業はパン屋。本物のドラゴンを見て、リアルなドラゴンパンを作るのだそうだ。この非常識な団体の中、比較的まともな人である。
「さっきから村の人たちが、こっちを見てんだけんど、あれはなんでだ。」
「外来の人が珍しいんですよ。ここら辺は山に囲まれて、旅人も通りませんから。」
「なるほど、熱い視線が集中してるとは思ったんですが、こっぱずかしいものですな。」
と言いながら顔を真赤にさせる。やはりこの人も、あまりまともじゃない……。
「では、彼らにとって我々はどのような印象を受けているのでしょうね。人間に限らず生物がテリトリーを侵されるのは……。」
何やらブツブツ言い始めたのは、アスタル・カーペンター、自称生物学者だが、本当はただの本屋の息子である。ドラゴンの細胞を採取して究極生物の構造を見たいのだそうだ。(もちろん、さわってはいけないと事前忠告はしているが、言うことを聞いてくれるのかどうか……。)危険人物一号である。
「全く、田舎者はこれだからしょうがない。我々のような都人の生活を見たらそれだけでショック死するんじゃないのか?」
威厳高く話し出すこの男の名は、シーエ・ツクシェン、執事さんを連れての参加である。彼は自分を男爵と呼べと言う通り、都の貴族様である。(と言っても金で称号を買った成り上がり貴族なのだが。)
高貴で壮大なドラゴンの目に自分の姿を焼き付けさせると言う彼だが、彼の服装は宝石だらけ。これではドラゴンに備える生けにえと同じである。結局、巣穴の外で執事さんに服を預けて待ってもらうことになった。(あの時の執事の残念な顔が忘れられない!)それでも油断できない。危険人物二号である。
「メールちゃん。なに恐い顔してるの?」
「ちょっと考え事をしてたもので。」
「なーに?恋の悩みならお姉さんに相談なさい。メルちゃんなら無料で占ってあげる。」
と言って微笑む彼女、グレース・カルマ、都ではなかなか有名な占い師である。特に恋占いは大得意で店の前ではいつも女の子が長蛇の列を作っている。グレースの参加理由はトカゲが好きだからだそうだ。確かに、ドラゴンはトカゲの大きいものに見えるが……。
「添乗員さん、早く行きましょう。あの人達、さっきからこっちを睨んでますよ。もしやドラゴンの巣穴は彼らの聖地では……。」
恐々とメルクに語りかけてきたのは、ダルト・トバール、都の教会に勤める司祭様だ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと彼らには明日、ドラゴンを見てくると言ってありますから。」
あまりのあがり症と、多大な被害妄想を持つ彼。未だに教壇に立ったことがないらしい。見かねた大司祭様が、ドラゴンでも見て度胸をつけてこいと、半ば強制的に参加させられたらしく、最初はメルクもかわいそうにと思っていた。だが、二週間もこんな調子でこられると、本当にドラゴンでも見て、度胸をつけてこいと言いたくなる。
この二人は注意しなくても大丈夫だろう。 危険人物がもう一人。危険人物三号であり、最も心配することが多い男……。
「スドールさん!なにやってるんですか!」
メルクが怒鳴ると、崖を眺めていた老人はハァッと言うような顔で振り向いた。
「いやぁ、ここら辺の地層が、実に不思議な湾曲を描いていてのう……。」
「ハイハイ、どうせ今日はこの村に泊まるのですから、後でゆっくり調査して下さい。」
メルクは投げやり口調で言う。ストール・シアトル、こちらは本物の学者さんだ。地質学の分野ではかなり有名な人で、本も何冊か出してるらしい。ドラゴンの棲み続けた火山からなぜ良質の溶岩が取れるのかに興味を持って、ツアーに参加したらしいのだが……。メルクにはただのボケ老人にしか見えない。突然、何をしでかすか分からないことに掛けては、彼は一番の実績を持っている。
「それでは、今から泊まる家に案内しますので皆さんついてきて下さーい。」
以上が、今回のツアーの、主な参加者達である。メルクは声を上げると、参加者達を、民家の方に案内した。実はこの村に宿屋は存在してなく、今日は民家に一人、又は二人ずつで泊まることになっているのである。
えっ?まだ二人紹介してないって?
「良かった。同じ家に泊まれて。」
「そうだね。今までは馬車の中だったから、みんなに気兼ねしちゃったし。」
「二週間、長い日々だったわ。」
「それは、神様が僕達に与えた愛の試練だったんだよ。でも、僕の頭から君の存在が消えたことなどなかったよ。」
「本当?」
「本当さ。僕は君の前で嘘はつけない。なぜなら僕は君を世界一愛しているから。」
「私も、世界一愛してるわパトル!」
「ミコス!今夜は君を離さないよ。」
「あぁ……。パトル!」
……キルター夫妻。新婚二週間。参加理由は変わったハネムーンがしたいだって。注意する必要なし。かってにやってて!
「退屈でしょうがここで待ってて下さい。」
「添乗員さんも、御主人様を頼みますよ。」
次の日の昼過ぎ、男爵の執事さんに見送られ、メルク達一行はドラゴンの巣穴へと入っていった。今日はこの洞窟に棲むドラゴンを見て終わりである。明日の朝には馬車に乗って都に向かう。本当にこんなツアー楽しいのだろうか?だが、今はそんなことを考えてはいけない。このツアーの見せ場なのだから。
「洞窟の中は、結構暑いのね。それにほのかに明るいし、暖炉のある部屋みたいだわ。」
グレースはハンカチで額の汗を拭う。
「確かに、普通の暑さじゃないな。」
男爵が頷くと、ダルトが顔を青くする。
「ドラゴンが火を吹いているんじゃないんですか?突然、洞窟の中が火の海に……。」
「それはありえないことです。人間以外の生物が何かの行為をする時は必ず理由があるはずです。休眠期に入っているドラゴンが、そんな体力を消耗させることはしません。」
アスタルはダルトに説明を始めた。
「僕達が巣穴に入って来た、という理由があるじゃないですか。」
「ドラゴンは気位の高い生物です。人間位で警戒する生き物ではありません。だいたいあなたは、ぼーっとしているときに蠅が入ってきて警戒しますか?ドラゴンにとって人間とはそういう程度のものなのです。」
「でも、俺んとこは食料扱ってるからよ、衛生上まずいから、蠅はすぐに殺すよ。」
「そうね。私も虫に入られたら占いの途中でも退治してるわ。神経集中できないもの。」
「そ、それは人間は例外で……。」
「でも、殺す理由はあるわよ。」
グレースは得意気に言う。
「皆さん。洞窟が暑いのはですね……。」
メルクが説明しようとすると、
「簡単なことじゃ。この洞窟は火山にあるから暖かいんじゃよ。ドラゴンがいようがいまいが関係ないわい。」
スドールは当り前の様な顔をして言った。
「なるほど。この山は火山だから、溶岩のせいで暑くなっているのか。そういえば村人も、燃料に溶岩を採取していたというが……。」
「じゃあ、このほのかな光も、溶岩?」
「確かに、燃えた石炭の光みてえだ。さすが、学者さんだ。詳しいな。」
「わしゃ、たいしたこと言っとらんぞ。」
スドールはうひゃひゃと笑う。メルクは言いたいことが全部言われ、ただ苦笑いをするしかなかった。
「あら、綺麗な石。なんでこんな洞窟に?」
「記念に持っていこうか?」
「でもこれ、ドラゴンの宝じゃないの?」
「ドラゴンの宝はもっと奥にあるやつだよ。こんな所にあるわけないさ。」
「でも、もしドラゴンが襲ってきたら?」
「そしたら僕が返り討ちにしてあげるよ。」
「キャッ、頼もしいわパトル。」
天井がかすんで見えるほどに高く、そして広い洞窟に、赤い大岩が居座っているように見える。しかし、中央に光るグリーンの瞳が、それが岩ではないことを、そして、彼が眠っていないことを十分理解させた。赤い光沢を放つ強靱な鱗を身に纏い、鋭い爪と素晴らしい破壊力を持つ尻尾を備えた世界最強の生物。それが、メルク達を静かに迎えてくれた。
「これが伝説の竜、レッドドラゴンです。」
メルクは声を潜めて言った。事前に騒がないようにと注意した手前、自然と声が低くなってしまうのである。だが、そんな注意は不要のものだった。全員が、その巨体に飲まれ、しばらく言葉を忘れてしまったのだから。
「で、でかい。」
男爵はぼそっと呟いた。「十分位前から見えていたが、こんなに大きいとは……。」
「まるで、山が生きてるみてーだ。」
「僕達と、同じ生き物とは思えない。」
「ドラゴンという名に相応しい雄姿じゃ。」
「でも、私のペットの方がかわいいな。」
グレースが呟くと、一同に笑いが起こる。
「伝説のドラゴンもかわいいと思われたら、立場がありませんね。」
「私のペットの方がかわいいけど、あの子がかわいくないなんて思ってないわよ。」
「あなたの趣味にはついていけませんよ。」
アスタルは苦笑いをした。
「それでは、ここでしばらく休憩を取ります。一応、なにをしていても構いませんが、くれぐれもドラゴンを刺激しないように。特に男爵様。ドラゴンに近づかないで下さいね。」
「なんで私だけ……。」
「なにせ、執事さんに頼まれてますから。」
「わかりましたよ。メルク殿。」
男爵がかしこまると、静かな笑いが起きた。ドラゴンの前でこれほどなごやかに笑った一般人は彼らが初めてだろう。
「スケッチ、はかどってますか?」
メルクがジェームスの後ろからスケッチブックをのぞき込んだ。「あら、ジェームスさんて、結構、絵がお上手なんですね。」
「いんやー、何回も書き直してっから、うまく見えるだけだ。」
ジェームスは照れ笑いをする。どうやら、ドラゴンの姿を紙に写し取るつもりらしい。メルクはそれをしばらく見ていたが不意に顔を上げた。ずっと見てる訳には行かないのだ。メルクは危険人物三人の様子を見る。スドールは相変わらず岩壁にへばりつくように何かを調べているし、男爵はといえば、グレースと楽しくおしゃべりをしている。ドラゴンの目の前でナンパとは何考えてるんだか……。
いや、それならキルター夫妻のほうが上を行くか。こんな光景を見せられて本当にドラゴンは襲ってこないんだろうな……。
アスタルはダルトとなにやら話をしている。まさか、愛を語ってんじゃ?メルクは苦笑いしながらアスタル達の所へ歩いていった。
「やあ、添乗員さん。この洞窟本当に暑くて困りますね。じゃあダルト君ありがとう。」
と言うと、アスタルは鼻歌交じりでメルクから離れていった。
「いったい何を話してたんです?」
メルクはダルトに詰め寄る。
「いえ、実は頼まれごとをされまして。」
「頼まれごと?どんなことです。」
「この洞窟の中が暑くてしょうがないから何とかならないかって言われたんですよ。」
「確かに少し蒸しますけど、火山の中にいる以上、我慢してもらうしか……。」
「僕もそう言ったんですが、アスタルさんは頭が良い方ですね。ファイヤー・プロテクションの魔法を掛けてくれと言うんですよ。」
「ファイヤー・プロテクション……。」
「耐熱効果を持つ膜を体に掛ける魔法ですよ。これなら洞窟の暑さなど……。」
メルクはダルトの説明そっち退けでアスタルを目で追う。メルクの不安は的中した。アスタルが右手にナイフを持ち、ドラゴンに忍び足で向かっているのである。
「アスタルさん!」
メルクは全速力でアスタルを追いかける。間一髪、アスタルがナイフを振り上げたところでメルクが取り押さえた。
「な、何をする気なんですか?」
「離して下さい!全ては研究のため……。」
「刺激的な行動はしないで下さい。そんなことしたら、私達、皆殺しにされますよ。男爵様!アスタルさんからナイフを……。」
「わかった!そのままでいろ。」
男爵はアスタルからナイフを取り上げる。
「全く、こういう身勝手な男がいるから、都の犯罪が減らんのだ。少しは常識を……。」
男爵がアスタルに文句を言いながら、持っていたハンカチで額の汗を拭う。
「男爵様、そのハンカチ……。」
「このハンカチか?メルク殿はさすがに目が高いな。これは金細工師に特注して作らせた、金の糸で刺繍してあるハンカチで……。」
「早くそれをしまって!ドラゴンがそんなものを見たら、どうなるか言ったはずです。」
「おお、そういえば。さすがにハンカチにまで目が届かなかったもので……。」
男爵は苦笑いする。男爵がハンカチをしまって、メルクがほっとしたのも束の間……。
「添乗員さん、添乗員さん。」
スドールがこっちに走ってくる。
「どうしました。調査は終わったん……!」
「きれいじゃろう。地層の中からこんなに大きくて見事な紫水晶が……。」
メルクはスドールから紫水晶を奪い取ると、ドラゴンに向かっておもいっきり投げた。ドラゴンはそれを一瞥しただけで終わった。
「せっかく苦労して掘り出したのに……。」
「ス、スドールさん!光る物をドラゴンに見せないでと、あれほど……。」
「そういえば、朝、そんなこと言ってたのう。まあ、そんな興奮せんでもいいじゃろう。」
(全く、誰が興奮させているのか分かって言ってるのか?このジジィ!)
「添乗員さん。突然、ドラゴンに物を投げないでくださいよ。ドラゴンの様子がおかしくなってるじゃないですか。」
ダルトが不安げに走ってきた。メルクが見た所そんなに変わった様には思えない。
「そろそろ帰りませんか?あまり長居してると襲ってくるかも……。」
「そうですね。そろそろ戻らないと執事さんが心配するし……。ジェームスさん?」
「俺はいいよ。十分描かせてもらった。」
「パトルさん達も帰る用意をして下さい。」
ハーイという二人の返事が帰ってくる。
(全く、ここじゃ生きた心地がしないわ。)
メルクは溜め息を吐いたのだった。
「出口だ!無事につきましたよ。」
ダルトがはりきった声を上げる。朝の時とは別人のようだ。まあ、彼も一応目的は達成したし、少しは成長したか……。
「これで、この旅も終わった訳だ。」
男爵が感慨深げに呟く。
「何言ってんのよ。これから二週間の馬車の旅が待ってるわよ。」
「又、あれに乗るしかないんかのう。考えただけでも腰が痛くなってくるわい。」
「もしよろしければ、スドールさんだけでも、ここに残ってもらっても構いませんよ。」
メルクが澄まして言うと、
「フーム。それもいいかもしれんのう。」
(全く、この老人には冗談が通じないわ。)
「後少し……、後少しで採取できたのに。」
アスタルはまだブツブツ言っている。
(悔しいのは分かるが、こっちの立場も分かって欲しい。お父さんには、これからは面接してから参加者を選べと言っておこう。)
メルクが溜め息を吐いた時。突然洞窟に、ズシン!と地響きが起こった。
「なに!今の……。」
グレースが目を丸くして言う。
「まさか、ドラゴンが……。」
ダルトが顔を真っ青にさせる。「やっぱり、僕達が巣穴に入ったのを怒っているんだ!」
「まさか、なんで今頃襲ってくるんだよ!」
「火山じゃ!火山の爆発じゃー。」
地響きは一向に収まらない。それどころか、益々大きくなってくる。ダルトの不安は的中した。地響きのリズムに合わせて、赤い巨体がこちらに向かってくる。
「ドラゴンだ……。こっちにやってくる。」
男爵が呟いた瞬間。洞窟に赤い閃光が走った。ドラゴンが火を吐いたのだ。その直線上に誰もいなかったのは幸運だった。岩をも溶かす炎のブレス、人間だったら骨も残らないのだ。だが、全員逃げることができなかった。蛇に睨まれた蛙とはこのことであろう。
「な、何でドラゴンが動き出したの……。」
メルクが呆然としていると、一人の呟きが聞こえてくる。
「嘘だろう?たかが石コロ一個だぜ。なんでそれくらいで襲ってくるんだ……。」
メルクがハッとしてそっちを見る。
「パトルさん。今……何て言いました?」
「入り口に、一個だけ捨てられてるように落ちてたんだ。大丈夫だと思ったんだよ!」
「私の注意を……。いや、今はそんなことを言ってられない。すぐにそれをドラゴン返してください。早くしないと殺されます!」
「で、でも……どうやって。」
「とにかく、その宝石を出して!」
パトルはポケットから石を取り出す。本当に小さな小さなルビーだった。メルクはそれを奪い取ると、走り出した。
「添乗員さん、何するつもりだー!」
ジェームスが叫ぶ。
「宝石をドラゴンに返してきます。皆さんは洞窟の外へ逃げていて下さい。」
と言うと、メルクは後ろを振り返らずにドラゴンに向かっていったのだった。
ドラゴンにとって、彼女の姿は虫ケラ位にしか見えなかっただろう。だが、自分が取り返そうとしている物を、彼女が持っていることに、彼はすぐに気づいた。彼女がそれを掲げるように走ってきたからではない。感覚的に分かるのだ。なぜ、自分が宝石に固執しているのか。ドラゴン自身、分からなかった。だが、そうせずにはいられないのだ。
「あなたの宝石を盗ったのは悪かった。素直に返す。だからおとなしく帰って!」
メルクは叫ぶと、石を力一杯放り投げた。宝石はドラゴンの目の高さまで行くと、放物線を描いて地面に落ちる。メルクにとって、これが自分にできる精一杯のことであった。
ドラゴンの動きがピタッと止まった。二つの生物の間に沈黙が走る。
(これでまだ襲ってくるのなら仕方がない。ドラゴンに、この命くれてやろう。その間に参加者達は逃げてくれるだろう。)
ドラゴンはしばらくメルクを睨み付けていたが、突然、大きく息を吸い込んだ。まるで洞窟内にある全ての空気を奪い去るかのように。メルクはドラゴンが何をしようと思っているのか、読むことができた。岩をも溶かす炎のブレスだ、しかし、メルクは逃げようとしない、直撃を食らわなかったとしても、この密閉に近い洞窟は大型のオーブンと化すだろう、すでにメルクは諦めていたのだ。
(これで私の人生もおしまいか。思えば何の変哲もない人生だった。でも、最後の二週間は波乱万丈だったな。色々迷惑掛けてくれたけど楽しい人たちと過ごせたし。それに、伝説のドラゴンに殺される人なんてそういないよね。こんなことになったのも全て……。)
「お父さん!今夜化けて出てやるからね!」
メルクが叫んだのと、ドラゴンが炎のブレス吐いたのは、ほとんど同時であった。
「ここは……。」
「あっ、メルちゃん!目を覚ましたのね。」
「あれ、グレースさん。私は死んだはずなのに……。なぜあなたが?」
「メルちゃんは死んでなんかないわよ。気絶してただけ。よかったわ間に合って。」
「間に合ったって……。」
メルクはがばっと起きる。周りの風景に見覚えがある。昨日泊まった民家の一室だ。
「私は……助かったんですか?」
「そうじゃなきゃここにいないでしょう。男爵様に抱えられて出てきた時は死んじゃってたのかと思ったけど。」
「男爵様が助けてくれたんですか。でも、どうやって……。」
「助けにいったのは男爵様だけじゃないわよ。ジェームスさんとダルトさんもあなたの後を追っていったわ。まあ、直接助けたのはダルトさんだけど。」
「ダルトさんが?」
「そう、なんていう魔法だったかしら。」
「魔法?ファイヤー・プロテクション?」
「それよそれ、それであなたや助けに行った人達を火のブレスから守ったのよ。ドラゴンも吐くだけ吐いちゃったら気が済んだらしくて、自分のねぐらに帰っちゃたらしいわ。」
「そうだったんですか。おかげで私は火傷一つ受けていないですね。」
「でも、意外だと思わない?あの司祭様がメルちゃんのためにドラゴンに立ち向うなんて。胸にきゅんと来るもの、感じたりして?」
「冗談はよして下さいよ。」
「冗談じゃないわよ。さっき占ってみたけど、あなた達の相性結構いいわよ。」
「グレースさん!」
「真赤になっちゃって。やっぱりメルちゃんてかわいい!……と、こんなこと言ってる場合じゃないわ、メルちゃんが起きたこと、みんなに知らせなくっちゃ。じゃあ、ちょっと待っててね。」
と言うと、グレースはスキップしながら出ていった。
「全く、人をからかって。」
と言いながら、メルクは溜め息を吐いた。(今回のツアー、色々あったけど、どうやら一人の死亡者を出さずに済んだみたいね……。だからといって、もう絶対こんなとこ来るもんか。お父さんが路頭に迷おうが関係ない。こんな思い二度とご免だわ!)
「グラードさん。この見積り計画書は?」
秘書謙、事務員のおばさんが、メルクの父に訊いてきた。
「それか、それは第二弾の計画書だ。」
「第二弾?第一弾は何です?」
「今、メルクが行ってるツアーだ。好評の波に乗って、すぐに第二弾を用意してしまう、自分の企画力が恐い……。」
「今度は、なんのツアーなんです?」
「ドラゴンを間近で見よう・ツアーに続く第二弾!魔神に三つのお願いきいてもらおう・ツアーだ!そうだ、メルクが帰ったらすぐに出発できるように用意しておこう。」
その頃、メルクに激しい悪寒が走っていたことをメルクの父は知る由もなかった。
(ドラゴンを近くで見よう・終わり)
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